エイトスター 【メルマガ・ダイヤモンド】 第21号 (送信日:2004/07/27)

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【こっちの世界とあっちの世界表裏一体メルマガ】第21号 7月 27日 
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 我が家族の先祖への旅が、多くの人の先祖への意識を刺激したならば、うれしい限
りです。切れてしまった糸をつむぐ。ここにいま肉体を持って魂の修行が出来ます
こと、心より感謝申し上げます、と言えるまで、とにかくつないでいきましょう。
 
  前号でキロと、著者名に文字化けがありましたこと、お詫び致します。

☆「冬のソナタ」は、いよいよ最終段階。謎解きが始まりました。
   よく出来た脚本だと思っていましたが、若い二人の女性脚本家からは、意外なこ
とが語られていましたね。
  なんと、日本の少女漫画「キャンディー・キャンディー」からたくさんのアイデ
アを頂いた、と。ドラマにしてくれたお蔭で、大人が楽しめました。
  それにしても、来日したチェ・ジウは、男性陣のエネルギーに劣らず、きれいな
エネルギーではありました。韓国俳優たちのエネルギーは、特別二重丸です。

☆霊界美容室に、土曜日に行きました。二回目です。混んでいました。それにもま
して、今回は、背骨のゆがみまで治されました。帰りの自転車に乗る私は、背を丸
められない。見事に腰から上が立っていました。いやぁ、風を受けたこと。
背骨の矯正もしてしまうエネルギー美容師さん。私はやっていませんよ。やらされ
ているだけですから……、と言いながら。

☆先祖への旅(3)
  動けば、当たる。動けば、動く。急展開を始めた先祖手繰り寄せの旅です。それ
は、三方に当たり、動きました。四日前の23日のメルマガを送信した午後からの
動きです。

  一つ目は、本当にまさかでしたが、かみさんの「はとこ」が、訪ね歩こうとして
いた町役場に務めていたのです。連絡が出来ました。35歳になる男性でした。若
い人は、ほとんど外に出てしまうのに……、いまも地元に残っていたのです。

「先祖のことなど、考えたこともありませんでした。これから私も少し考えてみる
ようにします。また何でもご協力させていただきますので、よろしくお願いいたし
ます。」ということでした。そして、彼は先祖手繰り寄せの旅には欠かせないほど
重要なことになるかもしれないことを漏らしました。

  崩れた墓石の中に、源氏名が書かれており、俗名として須佐があること。須佐
は、江戸時代以前かもしれませんが、地元の山ノ内家からいただいたようなことを
聞いたことがあること。そして、さらに郡山に三家族の縁者が住んでいるので、何
か分かるかもしれないとのこと。寺も山から降りた所のショウゼン寺になっている
こと、などなど、これからの探求の先を示すがごとくの話をたくさんしてください
ました。

  役場では議会担当の職員であり、会期中であったため尚忙しく、今回はここまで
でしたが、これは一気に進みそうだ、と確信しました。動けば、本当に当たる。そ
して、展開の動きが起こる。

  二つ目の動きは、先祖手繰り寄せの名人、山蔭管長からでした。膨大な資料が送
られてきました。氏素性の流れなどがまとめられた「姓氏家系辞典」があるとい
う。その中に、貴重な一文が残っていることを、管長が見つけて印がつけられてい
た。
  それは、須佐姓の大元は出雲から広がり、その大元がつながっていたのが物部で
あり、物部の勢力分布と重なって広がっているような内容でもありました。

  物部は、七世紀に曽我との戦いに敗れて、一族滅亡とか歴史では学んだつもりだ
ったが、何と勢力を東の関東から、東北まで伸ばしていたことが記述に残っていま
した。関東は、武蔵物部。千葉は、下総物部のごとくに……。
  物部は、出雲の出。天孫降臨はニニギノミコトではなく、ミギハヤヒを信仰して
いた豪族。出雲は、素盞鳴の命の須佐名の発祥の地。名前をつないで行くと、歴史
が見えて来る。

  会津須佐については、「新編風土記に『大沼郡山入村旧家喜藤次、山内譜代の旧
臣、須佐下総信重の10代の孫なり。』とあり、その血筋のものが地元の領主山ノ内
家に仕え、伊達政宗との松坂峠(福島と宮城の県境)の戦いでは、敗走する領主を
守るべく踏みとどまり孤軍奮戦し、山ノ内氏の横田地区(先祖たちが住んでいた一
体)の城まで逃げることを手助けしたことなど、膨大な字の羅列の中から抜き出し
てくださっていた。

※ 山ノ内家は、豊臣秀吉の会津下向に寄って領地没収されたが、奥会津の名領
    主。(1590年代秀吉55歳過ぎの頃のことか……。)
※ 松阪峠(福島と宮城の県境)

  この世的に、地上を広がって行った須佐姓の流れが見えてきていた。現に、現地
には須佐性を名乗る家は、たくさんある、とのこと。須佐下総信重の下総(しもう
さ)は、現千葉からの住人。この須佐の系統の者たちが、会津には多く入っていた
らしいことが伺えた。

  三つ目である。この日23日の金曜日夜、かみさんと長男は、学校の友人とオー
ストラリアに旅発った。留守中、残った二人の受験生がいるために、かみさんのお
母さんの来宅を依頼していた。夜も10時を過ぎた頃のこと。山蔭管長からの電話
の中での会話に、「会津若松」という言葉が出たために、電話をきった後に、お母
さんが反応した。

「『会津若松』って何?」
「あなたの先祖を手繰る旅をしていて、行ってきたんだよ」
「えぇっ、あの山奥へ?」
「いやぁ、今回はそこまでは行けなかったけど、近い内行くよ。一緒に行きま
す?」とすんなりの会話となった。

「それにてしも、すごい山奥に住んでいたんだね、ご先祖さまは……」
「そうよ、私も一度11歳の時に連れて行かれてね。案内する人が山道に迷ってしま
って、父に怒られていたわよ……。それくらいの山道を通って行かなければ着かな
い所よ」と言いながら、たった一回の訪問の様子を話してくれた。

  完全自給自足。戦後すぐの56年前でも、ランプだけ。広い平地の感じはなく、家
の真ん中にすごく太い木の柱があったこと。隣の家がなかったみたいだから、点在
していたのだろうこと。位牌が、お雛祭りの段々のようにした所に、たくさんあっ
たこと。流しで洗い物をした水は、地面に掘った水の道から丸く掘った溜め池みた
いな所に流れるようになっていて、そこで鯉を飼っていたこと。いまでも強く印象
に残っているのは、折角山までやってきたという私たちに、その溜まりで泳いでい
た鯉を料理してくれて、食べろとふるまわれたこと。一口も食べられなかった、と
屈託なく話してくれた。

  聞いていて、情景が浮かんできた。やはり、隠れ住んだ、という初めの印象は薄
れるばかりか、ますます強くなっていた。しかも、そうとう古い時代から……。

  この話をするお母さんを見ていて、先祖のことを話さなかったのではなく、話す
ことがないくらいの記憶しかなかったことが伺えて、自我で止めていたのではない
ことが分かって一安心した。かみさんからは、「何も話してくれないのよ」、と聞
かされる度に、(話したくない)というお母さんの強い気が伝わっていたからであ
る。

  展開は早い。動けば動く。この世では、動かざるものに、ご褒美はなし……か。
  前号で紹介した「グッド・ラック」は、果報は寝て待て、ではなかったのであ
る。下ごしらえを丁寧にした者に、果は実る、というものだった。見えない世界の
エネルギーがサポートして……。

  それにしても、一つ目と二つ目で矛盾することが出てきていた。この地上の流れ
からは、確かに須佐は現地に入っている。その流れの可能性はある。しかし、「は
とこ」の一言は、違った須佐の起こりを示唆しているかのようであった。
  崩れた墓石には源氏名があって、俗名が須佐となっており、それは領主山ノ内家
からいただいたものとの言い伝えがある、ということである。

  いやはや、家柄のはっきりしていない家というのは、流れを掴むのは大変であ
る。しかし、だからこそ面白い。先祖たちが我々に謎掛けをして逝ったみたいであ
る。

  やっぱり隠れキリシタンならぬ、隠れ平家か、それともお墓に源の字があるなら
ば、平家を滅ぼした源氏系の流れの逆落人か……。
  平家には勝ったけれども、深く平家の陣に取り残された源系の何人かが周囲の隠
れ平家を恐れて、源系の落人になったか……。それとも、敗走する主のおとりとな
って、残ったか……。すぐ近くには、平家の落人部落。

  山蔭管長の送ってくださった地名辞典(各県別に角川出版)からの資料に、「山
中5軒」の記載があった。200年以上も前の安永7年(1778年)の段階で、この地に
は5軒の家があった、という意味である。その5軒こそが、かみさんの先祖に間違
いはなかろう。しかし、それ以上の具体的な記述はない。

  隠れて、恐れて、自給自足で下界との関係を絶って生きる人たちの息吹が伝わっ
て来る。
  だからなのか、その子孫も異常に周りを気にし、警戒する。血に受け継がれた記
憶なのであろうか……。

  ますます興味をそそられる動きでありました。これからどう展開していくのか、
時をおいてもつづきそうです。

  (追記)いまメルマガ発信をするすぐ前の4時20分過ぎ。昼前から突然にいらした
山蔭管長に、ここまでの流れを説明したら、
「平家の須佐も、源氏の須佐もいたんだよ。調べてみなさい……」とのことでし
た。
  私は人生で初めて、自分の意志で、日本史に足を踏み入れている。大嫌いだった
歴史が、先祖を知る旅によって、興味深々のものとなってきた。映画やドラマで知
っていた人名や時代が、次から次に出て来る。車もない時代に、先祖たちは、信じ
られない行動力で、生き抜いてきたようである。それだけで、まずは頭が下がりま
す。



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